Episode04_ピースボートに乗り、会社の経営から身を引く

Contents
  • 胆石発作とコーチの問いかけ
  • 衝動的に決めたピースボート乗船
  • 自分の無知に愕然とする
  • あまりに非常識で不都合な声
  • 人生に無駄なし
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胆石発作とコーチの問いかけ

会社を立ち上げてから2年ほど経った2002年の春、思いがけないことが起こりました。ある朝の明け方、急にお腹が差し込むように痛くなり、時間が経つにつれてその痛みがどんどん激しくなったので、救急車を呼んで病院に担ぎ込まれたのです。診察の結果、胆石による発作だということがわかり、精密検査のためその日はそのまま入院することになりました。救急車に乗るのも病院に入院するのも生まれて初めてだったので、突然のことにびっくりしましたが、痛み止めの点滴を打ってもらったおかげでとりあえず痛みはおさまりました。

その頃、会社の方は幸いにも順調に発展していましたが、それまでの2年間は個人ビジネスに毛が生えた程度の自転車操業的な状態がずっと続いていたので、もしかしたら無理がたたったのかもしれません。当時、私にはカナダ人のコーチがいて、退院後の最初のセッションで事の顛末を報告し、精密検査の結果、すぐには手術をしなくていいことになったのでホッとしたという話をしました。すると、なぜか彼女は「口ではホッとしたと言いながら、なんとなくがっかりした感じが伝わってくるんだけど」と言いました。

最初は「えっ、そんなはずはない」と思いましたが、よくよく考えてみると、もしかしたら手術をするかもしれないという話になった時、「これでやっと休める」とどこかで思っていたことに気がつきました。

そのことを正直に伝えると、彼女は急に怒り出して、「それはおかしいわよ。病気にならないと休めないなんて。同じ休むなら、健康のまま休めばいいじゃないの」と言うじゃありませんか。「ごもっとも」と思いながら聞いていると、続けて「もし仮に健康な状態で3ヶ月休めるとしたら、何がしたい?」という、いかにもコーチらしい問いを投げかけてきました。

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その時、ふと視線を上げると、部屋の壁に「いつか行けたら行きたい」と思って以前切り抜きをして貼っておいたピースボート*の新聞広告が目に入りました。そして、なんとそこには「世界一周、3ヶ月の旅」と書かれていたのです。「これだ!」と思い、それを彼女に伝えると、畳みかけるように「じゃ、それを実現するために、まず何をする?」と聞いてきました。「このあと、さっそく事務局に電話して、最新の資料を取り寄せます」と約束し、コーチとのセッションが終わるとすぐさまピースボートの事務局に電話をかけました。すると、「ちょうど今週の土曜日に説明会があるんですが、いらっしゃいませんか?」とのこと。スケジュールを見たら、これまたちょうど空いていたので、参加することにしました。

*ピースボート・・・国際交流を目的として1983年に設立された同名の非政府組織が主催する世界各地をめぐる船舶旅行。

ピースボートの旅で乗船したオリビア号
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衝動的に決めたピースボート乗船

説明会にはその年の7月に結婚する予定になっていた妻を連れて行きました。そして、まだ説明を半分も聞かないうちに、私が突然申込書を書き始めたのを見て「何してんのよ!」と目を丸くしている彼女に、私は「今申し込まなければ、絶対に行かないと思うから」と答えました。その時は、よく考えてそうしたというより、何かに憑りつかれたように衝動的に申込書を書いたと言った方が近いような感じでした。

でも、実際そこで申し込まなかったら、行けない理由の方がたくさん出てきて、思いとどまっていたかもしれません。まだ小さな会社だったとはいえ、その代表者が、まだ事業が軌道に乗ったとは言い切れない時期に、3ヶ月もの間、仕事を休んで旅行に出かけるというのは前代未聞のことだと思います。しかし、「これだ!」という内なる声を信じて、その翌週、思い切って同僚にその考えを打ち明けることにしました。

当然、皆最初はびっくりしていましたが、大変ありがたいことに、最後には「私たちが何とかするから、身体の静養を兼ねたちょっと長いハネムーンのつもりで行ってきなさい」と言って快く送り出してくれたのです。

コロンビア・カルタヘナで地元のこどもたちと/アフリカ・エリトリアの砂漠で

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自分の無知に愕然とする

こうしてその年の8月から3ヶ月のピースボートの旅に出かけるわけですが、当初自分が想像していたのとはまったく異なる体験となりました。ピースボートとは、もともと世界中の社会経済的に恵まれない人たちや自然災害に遭った人たちを支援するために、日本で集めた生活物資を船で届けることを目的に発足した団体で、乗客はある意味、その支援活動に便乗しているといった感じでした。

したがって、途中立ち寄った様々な寄港地では、いわゆる観光をするオプションもありましたが、「交流ツアー」や「スタディ・ツアー」と言って、ピースボートが支援している現地の人たちと交流したり、彼らが直面している様々な問題について話を聞かせてもらったりというオプションも用意されていました。こういう時でないとなかなか経験できないことなので、幾度となくこうしたツアーに妻とともに参加したのですが、今まで概念上でしか知らなかった「環境破壊」や「貧富の格差」、あるいは「戦争の悲惨さ」といったものを肌で感じることができました。

また、船の上では、毎日のように「水先案内人」と呼ばれる専門家によって、世界の時事問題に関するレクチャーが行われており、他にすることもあまりないので、それをよく聞きに行っていました。そこで聞いたことや見たことのすべてが私の知らないことばかりで、あまりに自分が無知であることに愕然としたのをよく覚えています。

それまで、コーチングという小さな世界でそれなりにうまくいっていて、多少いい気になっていたのかもしれません。でも、これではまさに「井の中の蛙」ではないか、と強い危機感を抱きました。船で世界一周したと言うと、優雅な旅を想像されるかもしれませんが、私にとっては頭を後ろから思い切り引っぱたかれるような体験となったのです。

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あまりに非常識で不都合な声

そんな鬱々とした想いに苛まれていたある日、船のデッキからはるか彼方まで続く大海原を眺めていると、ふと次のような内なる声が心の中で響くのが聞こえました。「Itʼs time to move on 」。 なぜかその時聞こえたのはそのような英語の言葉だったのですが、これは直訳すると「今こそ次に進む時だ」という意味になります。これだけでは普通、何のことだかわからないと思いますが、その時自分にはそれが何を意味しているのかが直感的にわかりました。それは、「コーチングの仕事を手放しなさい」ということです。

それに対して、頭は「まさか、そんなことできるはずがない」と反論しました。それは、当時の自分にとって、あまりにも非常識で、かつ不都合な声だったからです。会社としてはようやく基盤が整ってきて、まだまだこれからという時期でしたし、そんな時に創設者自らが、しかも3ヶ月も休みをもらって、やっと帰ってきたと思ったら「辞める」というのは、さすがに自分でもあり得ないことでした。

もちろん、その声に耳をふさぐという選択肢もありましたが、アメリカに留学する時に「これからは内なる声に従って生きる」と決め、それにずっと従ってきたからこそコーチングとも出会えたことを考えると、今さら自分にとって不都合だという理由だけでその声を裏切ることはどうしてもできませんでした。

ただ、その翌年には、新たに資格コースやリーダーシップ・プログラムという新しいプログラムをCTIジャパンとして初めて開催するという計画があったこともあり、1年間の猶予を自分に与えることにしました。途中、本当に手放していいのか迷いが出ることも正直あったのですが、幸いにして「この人なら後を託せる」と思える人が見つかり、同僚の理解と協力も得られたことから、予定通り、1年後の2003年末にCTIジャパンの代表を退任し、その経営から身を引くことになりました。

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人生に無駄なし

振り返ってみると、つくづく人生で起こることにはすべて意味があるのだと感じます。胆石の発作を起こした時は「何でこんな痛い思いをしなければならないんだ」と思いましたが、それがあったからこそピースボートに乗るという体験ができました。そして、ピースボートに乗ったからこそ、自分の無知に気づくことができ、コーチングという狭い世界から飛び出して、新たな挑戦に向けて一歩を踏み出すことができたわけです。

それが起きた時には、なぜ起きたのか、まったく意味がわからなくても、「きっとこれにも何らかの意味があるはずだ」と思うことで、何が起きても冷静に受け止められるようになった気がします。

これは、別の言い方をすれば、「人生に無駄なし」ということでもあります。なぜなら、人生で起こることすべてに意味があるのであれば、人生で起こることに無駄なことは何一つないということになるからです。

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Key Message 人生で起こることには、すべて意味がある
Episode05_エコビレッジに惹かれて、スコットランドに移住