Episode07_アマゾンの先住民を訪ねて、会社の経営に復帰

Contents
  • 藤野を拠点にトランジションを展開
  • 背中を押されて動き始めたチェンドリ
  • 頭をよぎった意外な考え
  • 先住民の儀式で得た確信
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藤野を拠点に
トランジションを展開

2008年の6月に日本に帰国すると、前から何かと縁のあった、神奈川県北西部にある藤野という里山風情にあふれる人口1万人くらいの小さな町に生活の拠点を置くことにしました。そして、藤野への引越しが終わるやいなや、さっそく同じパーマカルチャー修了生ですでにその町に住んでいた友人夫妻とともにトランジション活動の立ち上げ準備に入りました。

とは言っても、引っ越してきてまだ日が浅い私たちがいきなりトランジションというわけのわからない横文字を振りかざして、藤野のような小さな町で活動を始めたら、もともとそこに長く住んでいる人たちはあまりいい気がしないのではないかと思い、まずはつてを頼りに町で影響力がありそうな人たちを紹介してもらって、個別に説明して回ることにしました。

藤野でのトランジション活動
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うれしかったのは、予想に反してそういう人たちが虚心坦懐に私たちの話を聞いてくれ、さらに「おもしろそうな活動だから応援するよ」と言ってくださったことでした。

それから興味を持ってくれそうな人たちに対して随時説明会を開くなどして、徐々に準備を進め、約半年後の2009年2月に運営メンバーを募って正式にトランジション藤野という任意の市民団体を立ち上げました。

同時に、フィンドホーンまで遊びに来てくれた仲間たちと別途トランジション・ジャパンという非営利団体を設立(2009年5月にNPO法人化)し、全国的にトランジションを広げるための活動も展開していきました。

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背中を押されて
動き始めたチェンドリ

一方、チェンドリに関しては、2回ほど実験的に実施したものの、プログラムの中で使用する計2時間くらいの映像に日本語字幕をつけなければどうしてもインパクトが弱く、そのための時間と費用をどう捻出するかというところで止まっていました。

そんな折、2008年の11月にカナダのモントリオールで開かれた、コーチング関係では世界最大規模を誇る国際会議において、チェンドリを提供する機会に恵まれました。

200人ほどいた参加者の中に何人か日本から来た人たちがいて、終わった後に「これ、日本でもやらないんですか?」と聞かれました。そこで、日本語への字幕化に苦戦していることなどの実情を話すと、「私たちも手伝いますから、日本でもぜひやりましょう」と力強い励ましを受け、そこから一気に物事が動き始めました。

チェンジ・ザ・ドリームの活動
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多くの人たちの協力を得て、翌年4月には日本語字幕付きの映像がようやく完成し、さらに5月には日本で初めてのファシリテーター・トレーニングを実施し、チェンドリが提供できるファシリテーターを20人以上養成するところまでこぎつけました。それを機に、セブン・ジェネレーションズという非営利の任意団体を設立(2011年3月にNPO法人化)し、トランジションの活動と並行してこちらの方の活動も本格化しました。

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頭をよぎった意外な考え

このように、チェンドリとトランジションという2つの市民運動を日本で拡げることに邁進していた2010年3月、前者の活動の一環で南米アマゾンの熱帯雨林に住む先住民に会いに行くツアーを企画し、エクアドルに行くことになりました。その途中、サンフランシスコに立ち寄った際、CTIのオフィスを久しぶりに訪れ、創設者の1人と話す機会がありました。実は、2003年末にCTIジャパンの代表を退任してから、日常的な経営業務にはほとんど関わっていませんでしたが、CTIとの主だった交渉事については顧問という立場で引き続き自分が担っており、その時もいくつかの案件を抱えての訪問でした。

ところが、その年の4月から予定されていたあるプログラムが人数不足でキャンセルになったことを報告した途端、意外にも普段温厚なその創設者が急に顔を真っ赤にして怒り始めたのです。「それは、あなたたちの意識がCTIから離れたからではないのか」と。確かに、それはまったくいわれのない批判ではありませんでした。というのも、その数年前から事業の多角化を狙ってCTI以外のプログラムをいくつか新たに導入したこともあり、そちらにかなりのマンパワーが割かれていたからです。

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その晩、またしても眠れない夜を過ごしました。そして、代表を退任して以来一度として考えたこともなかったことが頭をよぎったのです。すなわち、「自分がCTIジャパンの経営に戻るべきではないのか」という考えです。ただ、この時は、これが本物の「内なる声」かどうかは自信がありませんでした。創設者の怒りに反応して単なる責任感からそういう考えが出てきただけではないか、という疑問があったのです。そして、そのような疑問を抱えたまま、エクアドルのツアーに参加することになりました。

アマゾンの先住民を訪ねるツアー
アマゾンの先住民を訪ねるツアー
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先住民の儀式で得た確信

約2週間の行程のうち、ハイライトとなるのがアマゾンの熱帯雨林の奥深くに住むアチュア族という先住民を訪ねることだったのですが、ある日その地域の先住民に伝わる伝統的な儀式に参加する機会がありました。その儀式とは、ある植物からできた「聖なる飲みもの」の助けを借りて、その人にとって必要なビジョンを見るというものでした。その儀式を執り行うシャーマンたちの入念な準備の後、日が落ちて暗くなってから、その飲み物を各自処方してもらって飲んだのですが、待てど暮らせど自分には何の変化も起こりません。そこで2杯目を処方してもらったのですが、それでもやはり何の変化も起こりませんでした。

翌日、シャーマンが再びやってきて、それぞれが体験したことを聞きながら、それがどんなことを意味するかを解釈してくれるセッションがあったのですが、その時に自分は2杯飲んだにもかかわらず何も起こらなかったことを正直に告白すると、シャーマンから次のようなことを言われました。

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すなわち、「この飲みものにはポジティブなエネルギーがあって、それがその人の中にあるネガティブなエネルギーとぶつかると、そのネガティブなエネルギーを乗り越えるために必要なことをビジョンとして見せてくれるのです。したがって、2杯飲んで何も起こらなかったということは、あなたの中に今はネガティブなエネルギーが何もないということです」と。

これを聞いた時、「CTIジャパンに戻るべき」という声は本物の内なる声であることを確信し、なぜ戻らなければならないのか自分でもよくわからないまま、その声に従うことを決意したのです。この時、自分にとって、「なぜ戻らなければならないか」という理由はたいして重要ではなく、その声が本物かどうかということが一番重要なことでした。なぜなら、その声が本物であれば、その声に従うことでいずれその理由はわかるはずだと信じていたからです。

ただ、自分がCTIジャパンの経営に戻るということは、かなりの覚悟を要することでした。なぜなら、それはそこまで心血を注いできた2つの市民運動から身を引く必要があることを意味していたからです。CTIジャパンを最初に立ち上げた時と同様、これはとても片手間でやれることでないことはわかっていました。

幸い会社の方も私の決断を歓迎してくれたこともあり、日本に帰国して1ヶ月くらいの間に慌ただしく必要な引き継ぎを済ませ、5月の連休明けにはCTIジャパンのCEOという立場で経営に復帰しました。それまでにも数々の大きな変化を自分の人生の中で体験してきましたが、この時ほど急激な転換はありませんでした。

アチュア族のガイドさんたちと

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Key Message 理由があるから行動するのではなく、行動するから理由がわかる
Episode08_そしてまた新たな道へ、よく生きる研究所を設立